Friday, March 03, 2006

イギリス陶芸事情③


窯業の町、ストーク・オン・トレントへ

ロンドン滞在も半分が過ぎようとしていた1月中旬ごろ、陶芸リサーチのためストーク・オン・トレントに行った。

ロンドンのユーストン駅から、ヴァージン・トレイン(飛行機会社ヴァージンアトランティックの鉄道)に乗って北上、 約1時間40分でストーク・オン・トレントに到着。あと30分も乗り続ければ、工業の町マンチェスターだ。

さて、ストーク・オン・トレントは、イギリス最大の窯業の町だ。 ウェッジウッド、ロイヤル・ドルトン、ミントン、スポードなど有名な陶磁器メーカーや、 中小企業の陶器工場が建ち並ぶ。



ストーク・オン・トレント駅を出ると、ジョサイア・ウェッジウッドの像が出迎えてくれる

ストーク・オン・トレントは複数の町が集まってそう呼ばれるのだが、 かつて陶磁器の売買が盛んに行われていたのは、ヘンリーという地区、 陶器工場がたくさん並んでいたのは、ロングトンという地区だ。

まずは、ストーク・オン・トレント駅からバスで20分のヘンリーに行くことにした。 ヘンリーにあるインフォメーションセンターで地図をもらい、宿を取り、 荷物を置いて、陶芸美術館へ。

ストーク・オン・トレントのヘンリー地区にある陶芸美術館


美術館の中の展示風景


ここは、陶磁器のコレクションが、非常に素晴らしい。 土器から、中世のアースンウェア(低火度の施釉陶器)、 産業革命時代の工業製品としての陶磁器、現代の作品まで、 一日費やせるぐらいの、密度の濃いコレクション。 建物が古く、中が薄暗いのが難点だったが。

1月は4時には日が暮れるので、早めに宿に帰り、休む。

翌朝、早く起きて、宿を出る。 ヘンリーのバスセンターからロングトン行きのバスに乗ること40分。 目的地ロングトン地区にある、グラッドストーン博物館に到着。 ここは、19世紀の陶器工場をそのまま保管し、 当時の製造工程を分りやすく展示している。

ボトルキルン。当時は「オーブン」と呼ばれていた。

ボトルの形をしているのは、窯を覆っている煙突。中に円柱型の窯がある。

ボトルキルンの模型

部屋いっぱいの蒸気エンジン。これ一つでさまざまな機械が動くようになっていた。


工業地マンチェスターに近いこともあり、産業革命による陶磁器生産の工業化は、 当時は世界トップレベルだったにちがいない。 現代の窯業のスタイルは、全くストーク・オン・トレントのそのままだといえる。

グラッドストーン博物館には、陶芸スタジオがいくつかあって、 ここで制作に励む陶芸家ケヴィン・ミルワード氏に、いろいろな話を聞かせてもらった。

陶芸家ケヴィン・ミルワード氏


彼の話の中で、とても印象深かったのは、ストーク・オン・トレントはかつて、 石炭による煙からなる公害がひどく、空はいつもグレーに曇り、 多くの人々は肺病や喘息を患っていた。

現代になり、それを重く見た自治体は、いかに窯業地であっても、 薪や石炭、さらにはガスによる窯の焼成を、一部を除いて禁止した。 ケヴィンが使用するのはもちろん電気窯で、還元状態にするために、 中にナフサ?を入れて、窯の中の酸素を吸わせて、強制的に還元状態にするのだという。

日本でも近年環境政策が激化し、窯業が排出する産業廃棄物は、 そのルールが厳しくなってきている、と聞く。

もちろん都市部では、薪の窯なんて無理だろうけど、 ストーク・オン・トレントはそんな大都会ではないので、 ガス窯ぐらい大丈夫そうなのに・・・と思った。 自治体が窯業の保護政策をあまり取っていない感じだ。

町中に建っていたボトルキルンは、現代になって、どんどんつぶされた。代わりにアパートメントが建ち、ショッピングセンターができた。窯業に携わる人の数も、製造工程のオートメーション化や、工場自体のアジアへの移転により、激減した。

ここに残るボトル型の石炭窯は、とても美しく、見ていて飽きない。

たとえもう二度と、その焚き口に石炭がくべられることはなくても、 たくさんの人々がここですすまみれになって働き、 世界でもっとも美しい陶磁器を生産した事実は、 その歴史の中から消えることはないのだ。

窯詰めの様子。みんなサヤを頭に載せて、窯に入っていく。


大人に混じって、子供も働く。








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