Tuesday, May 08, 2007

陶芸と学歴

陶芸家にとって学歴は必要か。

一般論として、アメリカでは「必要」だろう。ここには、日本のように「何代目」とかいう陶芸家の看板や、「何とか焼」みたいな産業として発達した窯業地がほとんど無い。労働者や職人として仕事につく機会が無いので、「クリエイティブなやきもの」を糧に生活を続けるには、アーティスト、陶芸教室の先生、アートセンターのスタッフ、そして大学等教育機関の先生、ぐらいしかないのではないだろうか。

アーティストとしてやっていくには、ちゃんとした陶芸の技術、ビジネスプラン、自分の工房があればOKだ。あとは自分の腕次第。うまくやればお客やギャラリーがついてくれる。個人作家としてのビジネスの市場規模はアメリカの方が大きいだろうし。陶芸教室の経営も、むしろアメリカの方が起業しやすいような気もする。

またアートセンターのスタッフ、大学等の教育者としては、学歴が必要だろう。少なくともMFA(芸術学修士)が無くては、選考の段階で足切りを食らいそうだ。

2002年に、UMass(マサチューセッツ大学)の芸術学部陶芸科大学院で1年間、特別研修生として在籍した。3年課程の大学院には一学年辺り2~4名、総勢11名の院生が陶芸を学んでいた。彼らの内のほとんどは、就職志望先が「大学」だった。

いくら大学の多いアメリカとはいえ、陶芸科のある大学は数が知れているし、そもそも教員のポジションが空席になることは少ないだろう。実際フルタイムの教員としての仕事が得られたのは毎年1人いるかいないかで、残りはティーチングアシスタントやアートセンターの非常勤スタッフ、美術館のワークショップスタッフ、というところだろうか。

院卒でそんなものだから、学部卒業ではもっと厳しい。だから誰もが大学院を目指す。とりあえず修士を取っておいて損は無い、ということだろう。

NCECAに行くと、大学のブースには大学院情報を求む若い学生で大賑わいだ。NCECAには就職情報センターもあるらしい。陶芸で生活をしていくことは、アメリカでも非常に厳しい。

先月ワークショップを行ったイーストカロライナ大の院生は「最近は院を卒業しても、すぐには就職口がないので、数年経験を積めるようなレジデンシープログラムを探している。日本にそういうアートセンターみたいなの無い?」と聞かれた。陶芸の森ぐらいしか、知らないなあ。

また、NY州の大学の陶芸科で35年間教授であったジョン・ジェシマン氏は以前、こんなことを言っていた。「大学院の倍率は年々上がっている。卒業後の就職も凄い競争だ。アメリカの陶芸教育は、学歴のインフレばかりが進んで、大事なことがおろそかになっているように思う。」結構混沌としたアメリカ陶芸界なのだ。

日本ではどうだったろうか。信楽の腕のいい職人さんや、バリバリ仕事をしている陶芸家は、学歴とか関係なかったような気がする。経験主義の日本陶芸は、なるべく早いうちから、そして寝る間も惜しんで修行する、みたいな雰囲気ではなかったか。芸術大学の陶彫をやっている学生は卒業後、どうやって生計を立てているのだろう。機会があれば、調査してみたい。

自分のケースを書くのもなんだけど、学部・院と陶芸を学んでも、陶芸業界で成功するには足りないものがあった。腕はもちろんだが、多分私に欠けているのは商売の才能。これは大学では学べない(笑)。

Thursday, May 03, 2007

グラウンドホッグ・キルンとは


グラウンドホッグとはリス、タヌキ、アナグマみたいな動物でアメリカ大陸にたくさん生息している。今回は、この動物の名前をつけられた伝統的な薪窯、「グラウンドホッグ・キルン」の紹介をしたいと思う。

この窯は、記録によると17世紀ごろに、ドイツとイギリスから入植してきた工人が伝え、ジョージア州、サウスカロライナ州、ノースカロライナ州と広がったものだという。

形はトンネルのようで、火袋にロストル(空気の穴)があり、火垣があって物を置くスペースがある。天井は低く、床には硅砂が敷かれている。煙突は窯の幅くらい広く、高さは日本の一般的な薪窯のよりも低いだろう。窯のアーチに何箇所か穴が開いてあり、そこから塩を投入できるようになっている。要は、トンネル型の塩窯だ。







前の記事にも書いたが、シーグローブでは昔から、ムーンシャイン(自家製ウィスキー)のための酒瓶を作る需要があった。奇妙な形の人面壷(フェイス・ジャグ)やシンプルな壷など、たくさんの器が焼かれた。窯の中に棚を組まないため、背の高い器(壷など)を焼くのに適していた。


ロストルがあるため、薪は非常によく燃える。信楽の穴窯のようにオキ(炭)が溜まることは無い。だから一つ一つの薪は幅広く大きい。それでも完全燃焼できるのだ。またそのために、焼成時間も非常に短い。一般的にはバーナーでのあぶりが数時間、薪投入から12時間程度で焼成が完了する。

私が4月下旬にグラウンドホッグ・キルンを焚いたときは、あぶりに12時間、薪投入が15時間だった。これでも何とか長く引っ張ったのだが、上がる温度を止めることがとても難しかった。どちらかと言うと、酸化気味の焼成になりやすい。火口が広いので薪を入れるときに空気がたくさん窯の中に入るのと、煙突の断面積が広いので炎が煙突外に抜けやすいのではないかと思う。


グラウンドホッグ・キルンおよびノースカロライナの陶芸史の参考文献としては、陶芸家でもあり研究者でもある、ナンシー・スウィージー(Nancy Sweezy)氏の書いた「Raised in Clay」が最適だ。陶芸家としての観点から見た、細かいデータやメモ、ノート、写真がこの1冊にまとめられている。

ノースカロライナ大出版の、この本の紹介ページ
http://uncpress.unc.edu/books/T-1341.html






また、日本語で書かれた文献で「グラウンドホッグ窯」に言及しているのは、日本工芸の研究の第一人者であり、スミソニアン博物館フリーアギャラリーの学芸員、ルイーズ・アリソン・コート(Louise Allison Cort)氏の「アメリカにおける薪窯焼成の歴史」の記事だろう。このアーティクルは滋賀県立陶芸の森の「大信楽展」(2001年開催)の展覧会図録に集録されてある。

陶芸の森ウェブサイトより
http://www.sccp.jp/modules/tinyd1/rewrite/past_H13.html






Thursday, April 12, 2007

ムーンシャインとジャグタウン

ムーンシャイン(Moon Shine)とは、この辺では自家製ウィスキーのことを指す。インターネットによると、アメリカで18世紀末に密造酒を指すようになった俗語。当時の政府は、財政充実のためウイスキーに重い税金を課すことになった。農民たちはこっそり隠れて月光のもとで酒を蒸溜したたため、密造酒を「月光」と洒落て呼ぶようになったらしい。
現在シーグローブは陶器の町として名が知れているが、もともとはシーグローブ東部にある「ジャグタウン: Jug Town (壷の町)」という集落が陶器づくりの発祥で、今でも古い窯元が生活陶器を作っている。

またジャグタウンは固有の地名ではなくて、アメリカ各地に多数あったが、現在残っているのは少なく、しかも陶器を作り続けているのはここだけだと思われる。ジャグタウン辺りでは昔からムーンシャインが作られ、それを壷に詰めて販売していた。特に禁酒法時代には、たくさん売れたそうだ。違法だけど。

お酒を詰めるためのジャグは、シンプルなものから人面の装飾が施されたものまでさまざま。人面壷はとても怖い顔をしているが、これは子供がいたずらで触らないように、怖い顔をしているんじゃないかなあ。

今は、自分で消費する自家製のお酒に関しては、販売目的で無い限り、ある程度の量の酒造りは認められているようで、友人の中にも、自家製ビールやワインを作っている人がいる。

以前リンゴのムーンシャインを一口飲んだことがあるが、クラクラするぐらいキツいウィスキーだったけど、リンゴの香りと甘い味がして美味しかった。この辺には桃の農園が多いので、桃のムーンシャインもあるそうだ。もちろん市場に出ることはないから、味わえるチャンスなどなかなか無い。

地酒と酒器、お茶と茶器。陶器はいつも、大切なものを入れるために存在し続けてきた。

Burlon Craig, 1978, courtesy of NCPC

Monday, March 26, 2007

NCECA in ケンタッキー州ルイビル

3月14日から17日まで、ケンタッキー州ルイビルに滞在した。NCECA(National Council on Education for the Ceramic Arts: 全米陶芸教育委員会)という、陶芸教育カンファレンスが行われており、それを視察し情報収集するために出かけた。NCECAは毎年アメリカ各地で行われていて、約一万人も参加者があるらしい。

教育関係の催しだけではなく、陶芸科のある大学をはじめ、陶芸材料を扱う会社やアートギャラリー、陶芸雑誌出版社、アートセンターなど、陶芸を取り巻く各業界や関連団体がブースを持ち、宣伝や情報配布を行っている。

会場となっているコンベンションセンターはとても大きくて、なかなか全部の会場を回ることができない。

シンポジウムやセミナー、レクチャー、公開制作ワークショップなどが同時進行で行われていて、タイムマネージメントも大変だ。あちこちで古い友人や知人、その紹介で知り合う人々など、歩いては立ち止まって、を繰り返さねばならない。

とりあえずプログラムをざっと見て、見ておきたいレクチャーの時間をチェックし、空いた時間で興味のある業者・団体のブースを回った。

2001年に最初にアメリカに来た際に、研究生として在籍したマサチューセッツ州立大学ダートマス校の陶芸科のブースにも寄り、恩師や学生と話をすることができた。

アメリカの大学院で陶芸を学ぼうと思う学生は、こういうチャンスに先生や在学生から話しを聞き詳しい情報を得られるので、良い機会だと思う。

業者のブースでは、釉薬材料を扱う会社、窯を販売している会社、道具販売会社など、柴田の仕事に有益そうな業者のカタログやサンプルをもらい、営業の人と少し突っ込んだ話などをした。

できるだけ名刺や手持ちのパンフレットを配り、知らない人に興味を持ってもらう努力も怠らず。

朝から晩まであちこち歩き回り、夜は久しぶりに出会った親しい友人とレストランで夕食を共にし、ホテルに着いたら何とかシャワーを浴びて、ベッドに倒れこむという毎日だった。


日本の陶芸教育界には、こういう全国規模のイベントは無かったように思う。小さな国に数え切れないほどの窯業地が集まり、それぞれがヒエラルキーを持つ日本の陶芸は、世界的に見れば異常なほどのレベルの高さだが、国としてのまとまりはないようにも見える。

韓国では二年に一度の大きな国際陶芸コンペティションを、国を挙げてのイベントに育て、国際陶芸センターや美術館の設立、国際陶芸シンポジウムの開催など、その発展は目覚しい。

中国、台湾もそれに続けと国際コンペやアートセンター設立、国際交流ワークショップを積極的に行っている。韓国・中国・台湾のどの国も、英語でしっかり情報発信をしているので、英語圏の国の人々には非常に分かりやすい。

英語を話すアジア人陶芸家もどんどんアメリカにやってきて、国際交流の架け橋となっている。アメリカの陶芸業界の目は、日本ではなくその他のアジアの陶芸文化交流に注目しているように見える。一時「陶芸天国」とも呼ばれ敬われた日本の陶芸は、最早その神秘性を失ってしまったのかもしれない。

来年のNCECAは、ハリケーン・カトリーナで大きな災害を受けたルイジアナ州ニューオーリンズだ。噂ではホテルの一部がまだ改修が終わってなくて、大きなイベントを行える状態ではないらしい。

しかし一万人の参加者を持つNCECAが町にもたらす経済効果はかなりのものだ。

ホテル滞在費、NCECA入場料(設備使用料を含んでいる)、タクシー等交通費、レストランでの食費、夜の社交費(笑)、個人的出費云々を合計すると、4日間で少なくとも一人当たり1000ドルは使うだろう。これだけで軽く12億円だ。被災地復興にはそういうお金が一番効果があるので、間に合うといいけど。

アメリカでは、ビジネスネットワーキングと陶芸教育は非常に距離が近い。日本でも最近産学連携という言葉が多用されているけど、ちょっと前までは高等教育機関(特に文系)は商売(ビジネス)とは一線を引く、みたいな風潮ではなかったろうか。

個人的には、陶芸教育は崇高でアカデミックな面を追い求めるだけではなく、社会の中での存在意義を高め、よりよいものづくりの生産性を実現可能にするトレーニングも行える機関であるべきだと思う。

まあこれには賛否両論あって、陶芸を工芸と見るかアートとして見るかで全く異なるのだが。

多くの人に出会い、たくさんの情報を得て、充実しつつ非常に疲れた出張だった。