Thursday, April 27, 2006

窯出し その2

朝から、また雨だった。梅雨の季節になったのかと思わせるような天気。

今日は二の間(塩窯)の窯出しだ。朝、ドアブロックの穴から熱気を確認して、出せる温度にまで下がったことを確認。ひとつひとつ、ブロックを掃除しながら降ろしていく。

二の間の中は、思ったよりも、「茶色」な仕上がりだった。



仕事があったので、ドアを全開にしたままにした。夕方になり、窯出しを再開。
窯焚きを手伝ってくれた柴田や友人のジョー、そしてジョーの彼女のクリスティーも来た。

二の間の最も熱かった部分はコーン12番が完倒していた。塩はよく溶けていたようだ。

また、ひとつの窯焚きを通じて、多くのことを学んだ。
きっといつまでも、毎回学びながら窯を焚くのだろうけど。

明比のカップたち


明比の大皿たち



柴田の作った小壷や茶碗。この近辺の原土何種類かを混ぜ合わせて作った土。薪窯に良い土ができた。

Wednesday, April 26, 2006

窯出し その1

窯の口から出る熱気がだいぶん低くなってきて、一の間はもう十分温度が下がっていたので、ついに窯出しをすることにした。

積み上げているブロックを、ひとつひとつ丁寧にはずしていくと、中から器が顔を出した。

柴田の焼き締め茶碗

柴田の作った焼き締め大壷

今回はできるだけ時間をかけて還元をかけ、温度もしっかり上げた。やはり、よく焼けていたようだ。土肌もしっとりとして、掛かった灰もところどころ窯変している。コーンパックスは、最もよく焼けているところで12番が完倒していた。

注意深く目(器の底についている道具土)を取り、中、外、高台などを確認しながら、窯から出していく。

やっぱり、焼きが甘いよりは、焼き過ぎぐらいが丁度いいのかもしれない。

今日は一の間で止めておく。天気もよくないし、まだ二の間は温度が高いからだ。二の間には岩塩を投入して、塩による変化が出ているはずだ。うまくいっていればいいのだけど。

灰釉のテスト。灰は窯からかき出した木灰(樫と松)


明比の大鉢たち

焼き締め大壷(柴田作)

Monday, April 24, 2006

登り窯を焚く


4月22日~23日は、登り窯を焚くことになっていた。ほぼ4ヶ月ぶりの登り窯焼成。

3月から、仕事の合間に、作品制作、素焼き、釉がけ、と準備をしてきた。先々週の週末には、大奮発して、ハスクバーナのチェンソーも買い($240)、薪も切った。

とても良いチェンソーなので、よかったら参考に。
ハスクバーナのウェブサイト 
http://www.jp.husqvarna.com/

金曜日夕方から、窯詰めを始めた。薪窯は、ひとつひとつの作品の底に、目(小さな道具土の玉)を数個ずつ、貼っていかなければならない。ガスや電気の窯とは違い、とても手間がかかる。深夜に入り、窯の奥側2段目まで積んで、中断。窯焚きのことを考えると、今無理はできない。



土曜日の早朝7時半に、雷の音で目が覚める。サンダーストームのようだ。慌てて窯に行き、外に出ていた器をスタジオに入れる。案の定、カミナリと大粒の雨、強い風に見まわれる。



小降りになって、窯詰めを始める。せっかく時間を掛けて作品を作り、またさまざまな準備をしてきたのに、窯詰めでしくじると、窯焚きや器の焼きが散々なことになる。

前回(2005年12月)にこの窯を焼成したときは、作品の数が足りなくて、余裕のありすぎる窯詰めだったので、数がたっぷりある今回は、しっかり詰めていく。

二の間の窯詰めの様子


午後7時に窯詰めを終えた。登り窯のドアを、レンガで積み上げ、これからあぶりに入る。

ポタリーセンターのこの登り窯は2000年に、「ロッククリーク・ポタリー」という陶芸スタジオの陶芸家、ウィル・ラグルスとダグラス・ランキンがゲストアーティストとして招かれ、築窯ワークショップで築いたものだ。彼らのスタジオは、ノースキャロライナ州西部、ペンランドより少し北側のベーカーズビルという村の山中にあり、空気のきれいな、美しい場所にある。電気も水道もないところで、小川の水を使って発電し、湧き水を生活用水に利用し、手作りの登り窯で、手作りの器を作り、薪で窯を焚く、という暮らしをしている。

ロッククリーク・ポタリーのウェブサイト: http://www.rockcreekpottery.com/

このロッククリーク・デザインの登り窯は、アメリカでは非常に人気があり、多くの人がこれとよく似た窯を作っている。日本の一般的な登り窯と比べると、とても小さい。幅2メートルぐらい、火袋、一の間、二の間、煙突、と合わせた全長は7メートルぐらいだろう。正確に測ってはないけど、一つの間の大きさが1立米ぐらいではないだろうか。ちなみに火袋にはものが詰められず、火力源としての役割しか持たない。そして全ての焚き口にはロストルがあって、効率よく薪が燃えるようになっている。

さて、土曜日(22日)の午後7時から、ガスバーナーであぶりを始めた。数時間は休みが取れるので、この間に食事と睡眠をできるだけ取っておく。

日付が変わった日曜日(23日)の夜中12時から、柴田が薪を少しずつ入れ始めた。小さな割り木を、火袋の火を育てるようにくべていく。午前2時から本格的に薪を入れていく。雨がまだ小ぶりで続いていて、湿気が多い。

朝7時、私と窯番を交代。火袋と一の間に順に薪をくべていく。 午前9時には、一の間の温度が高い場所のオートンコーン010番が倒れた。

注) オートンコーンとは、アメリカ・オハイオ州の「Orton」という会社の商品で、窯の中の温度によって倒れるようになっている小さなコーン状のもの。温度帯を変えて何本かを道具土に差したものを「コーンパックス」と呼ぶ。今回の薪窯焼成では、還元入りの温度を見るための「010番(オーテン)」と、温度が上がってきたころの温度と雰囲気を見るための「6番~12番」を使った、2種類のコーンパックスを作った。

コーンパックスと色見のリング。前回の窯焚きのもの

窯の雰囲気を強還元に変えるため、煙突のエアダンパーを開け、早いサイクルで多目の薪を入れる。煙突から黒い煙がたくさんでる。ここでしっかり還元をかけると、土がいい感じで変化するはずだ。

午後12時、柴田復活。2人で薪をくべていく。昨日のひどい天気とは正反対の快晴。気温が上がり、湿度も高いので、余計に体力を奪う。

1時に、友人のジョーが手伝いに来てくれる。ちょっと変わってもらって、昼食を作りに一時帰宅。4時にジョーが帰る。これから窯を焚き上げるまでは、休憩は取れない。

午後6時、一の間の温度が低い部分のオルトンコーン10番が倒れる。火袋にしっかり薪をつめて、これで一の間は終わり。これから二の間(塩窯)に移る。

午後7時、二の間に薪を入れ始めてから30分もしないうちに、各部分のコーン6番が倒れ始める。用意しておいたロックソルト(1cmぐらいの大きさの岩塩の粒)5kgを数回に分けて、ちょっと広めの薪の上に乗せ、焚き口から窯の中へめがけて振り上げると、岩塩がいろいろな場所に弾けて飛んで行く。これから、しっかり塩を焼ききらねばならない。

午後9時、温度が一番低い部分のコーン10番が動いた。小さな窓から鉄の棒を差し込み、色見(リング状の土)を抜く。水で急冷して表面を見ると、塩と灰がしっかり乗り、土の色も良い。

9時半になり、最後の10番が倒れた。これで窯焚きも終わりだ。

ガスバーナーでの焙り5時間、薪での焼成約20時間であった。 窯出しは、おそらく3日後の水曜日。とても楽しみだ。

あとは冷えるのを待つのみ