Thursday, March 05, 2009

レンガのこと

窯を築くにはレンガが絶対に必要だ。

薪窯を自分で築く陶芸家を見ていると、場所に関わらず、皆「レンガは財産」と思っているようだ。シーグローブの薪窯で焼成する友人たちは、常にレンガの情報を集めて買い貯 めているし、イギリスに陶芸リサーチに行った際に訪ねたある陶芸家は、一度窯を解体した時のレンガを一つ一つ非常に丁寧に掃除して、まるで新品同様の状態 で積み上げていた。

最近は木型の上から耐火セメントを一気に流して作る薪窯もあるから、レンガがないと窯は築けない、とは限らないけど。でもやっぱり、いつか役立つから、とお金をかき集めてでも購入してしまう陶芸材料には違いない。

と言うわけで、今回はレンガの話を書こうと思う。

この辺りで最も良く聞く耐火レンガの会社は、ジョージア州にある「Larkin」だ。日本でも良く見るような、普通の一丁レンガ(9インチの長さ)が1個$3ぐらい。パレット買いで、1パレット300丁ぐらい。日本も耐火レンガ1丁300円ぐらいだろうから(10年前の話だけど)、あまり値段は変わらないのではないか。

また、昨今のガソリン・物価高で、輸送費がかなりかかるので、一窯分のレンガとなると、かなりの出費になるだろう。アメリカは広いので、地域によって入手できる材料も違う。大体、西海岸から東海岸まで、トラック輸送で4、5日はかかるのだから、できるだけ近い場所から、重たいものを買うに越したことは無い。

*アメリカは思ってるより物流事情が良くなく、トラック輸送のコストがとても高い。重くてかさばるものを買う時は、輸送費を念入りに確認しておかないと、えらいことになる。

たまに、赤レンガを作っている会社が窯を築き直すので解体したレンガを安く売ってくれる、という話があることがある(かなりアンテナを張ってないと中々情報を得られないけど)。窯に使われていたレンガは大抵耐火レンガで、何度も焼成されているので、窯作りにはとても有用な材料だ。新品のレンガより安全かもしれない。この辺ではグリーンズボロにある「Resco」というレンガ会社が有名だ。

また、私たちが昨年2月に購入した耐火レンガの話。ここシーグローブから東へ車で1時間ほどのところに、Goldstonという町がある。かつて赤レンガを焼いていた工場があったが、近年の製造業の衰退と共に赤レンガ工場は閉鎖された。

その工場にあった大きなトンネル窯で使われていた耐火レンガを、ばら売りしてくれるという話を友達から聞いて、レンガを買うことを決めたのは2007年の末。

レンガはまだその工場跡の屋外に、そのまま放置されていた。購入に当たっては、自分達でレンガをパレットに積んで、配送の手配をする、という条件だった。

2008年の年明け早々、しばっさんは共同購入する友人達と一緒にその工場跡に通って、せっせとレンガのパレット積みをしに行った。一つのレンガは、普通のサイズのレンガの5倍ほどもあり、重さも1個20㎏ぐらいある。それを4人で5000丁もパレットに積んだのだ。

私たちが購入したのは28パレット。1パレット1t。レンガ合計約1200丁。近くに住むトラックの運転手さんが、工場跡でレンガを積んで、家まで運んできてくれた。そしてその人の持つ大きなトラクターで、パレットを下ろしてくれた。

ちなみに、28パレット分のレンガが$800、木製のパレットとビニールラップが$200、レンガの運送費と荷下ろし費用が$320。これで$1300強は破格の値段だったと思う。サイズや形がまちまちだけど、形の複雑な穴窯+2間の薪窯なので、適材適所で使えるんじゃないかと思う。

現在うちの薪窯築窯状況は、窯屋根が建って、窯の基礎をバッコー(ショベルカー)で掘ってもらって、というところ。追々、記録も兼ねて、ここに記していこうと思う。

Sunday, March 01, 2009

土のこと

私は陶芸エンジニアではないから、化学的に詳しいことは書けないけど。でも日本とアメリカの一般的な陶土の違いについて、ちょっとだけ書き記しておこう。

最初にアメリカの陶土。種類は大きく分けて3つ、Earthenware(非常に焼成温度の低い土、オートンコーンで04番とか)、 Stoneware(オートンコーン6番で焼き締まる陶土)、そして Stoneware(オートンコーン10番)。どの土製造会社の陶土も、また本や教科書などの土調合レシピも、この3種類に大まかに分けることが出来る。それにちなんで釉薬も、04番、6番、10番と分かれている。

ちなみにオートンコーンのそれぞれの焼成温度は、
04番 1060~70℃
6番  1220~1240℃
10番 1280~1300℃
となっている。(焼成方法や焼成レートによって異なる)

*詳しくはオートンのウェブサイトのセラミックスの辺りに書いています。
参照 http://www.ortonceramic.com/

上の写真は窯出し後のオートンコーン。右から12番、11番・・・と並んでいて、窯焚き最中の温度が目視できるようになっている。

余談だけど、日本では昔ゼーゲルコーン(http://www8.ocn.ne.jp/~seger/)の方が一般的だったし、確か京都の工業試験場とかでもそれに似たコーンを作っていたと思う。だけど今では、オートンの方がシェアを取ってしまったのではないだろうか。

さておき、アメリカで陶芸をするなら、その3つからどれを選ぶか、の問題だ。04番と6番はドラム缶みたいな形の電気窯で焼成でき、コストも安いことから、素人でも非常に簡単に作品が作れる。町の陶芸教室や自分の工房で陶芸作品を作る、という、陶芸に対する「難しさ」のハードルをぐいっと下げた材料と手段だ。あとオブジェを作るアーティストは、アースンウェアを使って低い温度で焼成して作品を作っている。絵の具のように釉薬の色がカラフルなのと、焼き締まるとか水漏れがしないといった制約が無いからかもしれない。

対して10番は、焼成に対する設備のコストが高い。電気窯でも性能の良いものが必要だし、ガス窯ならばもっと設備投資にお金がかかる。だが、実用陶器で生計を立てている陶芸家はたいがい10番で作品を焼成しているんじゃないかな。以前マサチューセッツの大学院で作品を制作していた時は10番の土でガス窯で焼成していたけど、私以外はオブジェばっかりだったから、ガス窯を一人で占領してしまっていたなあ。

番外の薪窯焼成は、少なくとも10番以上、時には12番が倒れるから、1300℃以上の高温で長時間の焼成になる。私もしばっさんも薪窯で作品を作っているから、当然10番の土では弱すぎるので、薪窯専用の土を使っているのだけど、やっぱり原土や市販の陶土、長石、を混ぜて、自分たちの焼成方法に合った土を作らねばならない。そんな強い土を、しばっさんの立ち上げた「スターワークス・セラミックス」が作って販売しようとしているのだけど。
新規に立ち上げられた、スターワークスのクレイファクトリー

さて気になる信楽の土は、土工場がたくさんの名前の陶土を販売しているけど、基本的にそれぞれの土によって焼成温度が異なるので、工房や陶芸家が各々の調合で、土練機でいろんな土を混ぜ合わせて、陶土を作っていた。食器ではたぶんオルトンで7~9番が多かったと記憶している。穴窯用の土は、黄瀬(きのせ)土とか篠原(しのはら)土とかがあるけど、普通の陶土より砂っぽくて、ざっくりしていた。3~4日焼成するから、12番ぐらいまで温度が上がるだろうし。でもそれでも焼き締まってなかったような感じがした。水がしみるのもこれまた味、みたいなところがあるからかもしれない。

一土、二窯、三細工、と信楽では言われていたけど、まあやっぱり土が一番大切だ、ということだ。

Friday, January 16, 2009

世界恐慌の波

ウェッジウッドが経営破たんした、というニュースをテレビで報道していた(@ノースキャロライナ)。

いやー、これは大変なことだ。

ウェッジウッドと言えば、イギリスの産業革命によって世界に躍り出た大企業。窯業地ストーク・オン・トレントに行くと、真っ先に出迎えてくれるのが、創設者ジョサイア・ウェッジウッドの銅像(下の写真)。イギリスの陶芸の象徴と言っていい。
ニュースを聞いていると、アイルランドのクリスタルガラスのメーカーであるウォーターフォード社に吸収合併されたが、結局経営改善できず、今回親会社とともに破綻、となったのだそうだ。

その数日後、今度はドイツの高級食器メーカー・ローゼンタールが破綻、のニュース。ウォーターフォード・ウェッジウッドの子会社だったらしい。親亀こけたら皆こけた、だ。

日本のデパートの洋食器売り場に必ずと言っていいほど、ウェッジウッドお店がある。値段は高い。私は一つだけ、ジャスパー・ウェアの飾り皿を持っているけど、それもストーク・オン・トレントでのお土産として買っただけで、普段使いでもなんでもない。

でも歴史的に見ると、その功績や蓄積した技術は計り知れないものがある。世界的にファンを持ち、いろいろな新しい試みを常に続けていた素晴らしい陶磁器メーカーである。とても残念なことだ。まあ日本ウェッジウッドのウェブサイトには、今後も引き続き生産していくので、と言う風に書いてはいたけど。がんばって欲しいなあ。

またニュースで、アメリカの投資会社が買収して再建するようなことを言っていたけど、アメリカ国内にそんな威力が残っている投資会社なんてあるのか。

日本でも窯業の不景気は深刻で、特に建設用のタイルを製造する工場や、ローラーマシン等で一日何十万個もの食器を作ってトンネル窯で焼成している大工場などは、バブル経済破綻後からずっと右肩下がりのままだろう。需要と供給のバランスが悪い、と言うだけではない、もはや産業として現代の経済に必要とされていないんじゃないだろうか。

特に窯業は、山を切り崩し、燃料を燃やし、二酸化炭素を放出して成り立つ産業だ。ゴミも出る。水も汚す。それでも人が必要とする限り、どんどん作ってよかった時代もあっただろう。だがこの昨今、環境に優しい、二酸化炭素を出さない、リサイクルし易い「ものづくり」が問われる時代に、窯業がどうやって対応していけるのだろう。個人の陶芸家レベルなら規模が知れてるし、柔軟に対応できるだろうけど、工場とかだと厳しいだろうな。

ストーク・オン・トレントでも、石炭で窯を焚いていた時代に、労働者の喘息や肺病が深刻な社会問題になった。石炭から重油やガス窯に移っても、爆発等事故や火災で訴訟問題が絶えることは無く、ついに町が「電気窯しか新しく築いてはいけない」と条例を作ってしまったのだ、と地元の陶芸家が嘆いていた。マンチェスターに近いがゆえ、大都市のベッドタウン化によって住宅地が押し寄せ、人の暮らしと環境と、産業のあり方を天秤に掛けねばならなかった、と言う状況は、日本のそれとも酷似している。

アメリカでも不景気は深刻な問題で、シーグローブの陶芸家たちも、とても心配している。大体、生活が苦しいと、陶器なんて買ってる余裕があるわけがない。ちょっとの間、厳しい時期が続きそうだ。

大量生産・大量消費の時代は終わったなんて、ずいぶん前から嫌になるほど耳にしているけど、でも何とか窯業が、細く長く生き延びる方法はないのかな。

Sunday, January 11, 2009

作品の見せ方考

アメリカで何度か展覧会(個展/グループ展)を経験しているけど、ちょっと面白いなということがある。ギャラリーの壁は必ず白、パディストール(pedestal)と呼ばれる展示台も白、白白白、なのである。

搬入・展示の前に、ペンキ缶を持って、あっちこっちの壁や展示台のくすんだ部分を塗るのが先決なのだ。

また、コンペのアプリケーションやポストカードに使う作品の写真だが、実際の物よりいかに良く見えるように撮影するか、がとても大切で、良いカメラマンや撮影スタジオを使うことに、人はとても貪欲だ。




アメリカでは、実物よりも写真写り、中身より外見、個人から大衆へと、作品の持つベクトルは外へ外へと向かっているように思える。もちろん実用的な陶器と、オブジェやフィギュア作品の持つ性質は違うけど。

自分の作品を前にして、コンセプトを語ることも、アメリカ陶芸では必ず要求される。

人に自分の作品を認めてもらうために、あらゆる努力を惜しまない。
逆に制作プロセスの中で、力を省けるところは極力省く。
作品の良し悪しよりも、ディベートや競争に勝つ力を付ける。

良いものを作る、という作家としての使命の前に、良いものを見極める目を養うことも大切なのだが。

アメリカの陶芸に関わって、延べで5年。決してそれをを批判しているわけではないが、私はここにいてもやっぱり日本人陶芸家なので、郷に従えない「日本人意識」が、シニカルに考えさせるのだろう。

あなたは自分の作品を良いものだと言い切れる自信がありますか。
それを人に認めさせるための、努力をしていますか。

Wednesday, January 07, 2009

陶芸を一休み

2007年からずいぶん記事を更新するのをサボっていた。すみません。

実は2007年秋の登り窯焼成を最後に、しばらくの間陶芸を休んでいた。2007年12月に子供を出産、そして24時間体制の子育て。陶芸を本格的に再開でき始めたのは2008年の秋から。1年間、活動らしい活動など無かった。

まあ陶器の町に住んでいると、嫌でもいろいろ陶芸に関するできことを目にするのだが。

そろそろ余裕も出てきたので、身の回りの陶芸のことを思い出しながら、書き始めてみようかと思う。

時々、思い出したときに、そっと覗いてみて頂けたら幸いだ。

こんなんだったのが

こんなんになりました

Tuesday, May 08, 2007

陶芸と学歴

陶芸家にとって学歴は必要か。

一般論として、アメリカでは「必要」だろう。ここには、日本のように「何代目」とかいう陶芸家の看板や、「何とか焼」みたいな産業として発達した窯業地がほとんど無い。労働者や職人として仕事につく機会が無いので、「クリエイティブなやきもの」を糧に生活を続けるには、アーティスト、陶芸教室の先生、アートセンターのスタッフ、そして大学等教育機関の先生、ぐらいしかないのではないだろうか。

アーティストとしてやっていくには、ちゃんとした陶芸の技術、ビジネスプラン、自分の工房があればOKだ。あとは自分の腕次第。うまくやればお客やギャラリーがついてくれる。個人作家としてのビジネスの市場規模はアメリカの方が大きいだろうし。陶芸教室の経営も、むしろアメリカの方が起業しやすいような気もする。

またアートセンターのスタッフ、大学等の教育者としては、学歴が必要だろう。少なくともMFA(芸術学修士)が無くては、選考の段階で足切りを食らいそうだ。

2002年に、UMass(マサチューセッツ大学)の芸術学部陶芸科大学院で1年間、特別研修生として在籍した。3年課程の大学院には一学年辺り2~4名、総勢11名の院生が陶芸を学んでいた。彼らの内のほとんどは、就職志望先が「大学」だった。

いくら大学の多いアメリカとはいえ、陶芸科のある大学は数が知れているし、そもそも教員のポジションが空席になることは少ないだろう。実際フルタイムの教員としての仕事が得られたのは毎年1人いるかいないかで、残りはティーチングアシスタントやアートセンターの非常勤スタッフ、美術館のワークショップスタッフ、というところだろうか。

院卒でそんなものだから、学部卒業ではもっと厳しい。だから誰もが大学院を目指す。とりあえず修士を取っておいて損は無い、ということだろう。

NCECAに行くと、大学のブースには大学院情報を求む若い学生で大賑わいだ。NCECAには就職情報センターもあるらしい。陶芸で生活をしていくことは、アメリカでも非常に厳しい。

先月ワークショップを行ったイーストカロライナ大の院生は「最近は院を卒業しても、すぐには就職口がないので、数年経験を積めるようなレジデンシープログラムを探している。日本にそういうアートセンターみたいなの無い?」と聞かれた。陶芸の森ぐらいしか、知らないなあ。

また、NY州の大学の陶芸科で35年間教授であったジョン・ジェシマン氏は以前、こんなことを言っていた。「大学院の倍率は年々上がっている。卒業後の就職も凄い競争だ。アメリカの陶芸教育は、学歴のインフレばかりが進んで、大事なことがおろそかになっているように思う。」結構混沌としたアメリカ陶芸界なのだ。

日本ではどうだったろうか。信楽の腕のいい職人さんや、バリバリ仕事をしている陶芸家は、学歴とか関係なかったような気がする。経験主義の日本陶芸は、なるべく早いうちから、そして寝る間も惜しんで修行する、みたいな雰囲気ではなかったか。芸術大学の陶彫をやっている学生は卒業後、どうやって生計を立てているのだろう。機会があれば、調査してみたい。

自分のケースを書くのもなんだけど、学部・院と陶芸を学んでも、陶芸業界で成功するには足りないものがあった。腕はもちろんだが、多分私に欠けているのは商売の才能。これは大学では学べない(笑)。

Thursday, May 03, 2007

グラウンドホッグ・キルンとは


グラウンドホッグとはリス、タヌキ、アナグマみたいな動物でアメリカ大陸にたくさん生息している。今回は、この動物の名前をつけられた伝統的な薪窯、「グラウンドホッグ・キルン」の紹介をしたいと思う。

この窯は、記録によると17世紀ごろに、ドイツとイギリスから入植してきた工人が伝え、ジョージア州、サウスカロライナ州、ノースカロライナ州と広がったものだという。

形はトンネルのようで、火袋にロストル(空気の穴)があり、火垣があって物を置くスペースがある。天井は低く、床には硅砂が敷かれている。煙突は窯の幅くらい広く、高さは日本の一般的な薪窯のよりも低いだろう。窯のアーチに何箇所か穴が開いてあり、そこから塩を投入できるようになっている。要は、トンネル型の塩窯だ。







前の記事にも書いたが、シーグローブでは昔から、ムーンシャイン(自家製ウィスキー)のための酒瓶を作る需要があった。奇妙な形の人面壷(フェイス・ジャグ)やシンプルな壷など、たくさんの器が焼かれた。窯の中に棚を組まないため、背の高い器(壷など)を焼くのに適していた。


ロストルがあるため、薪は非常によく燃える。信楽の穴窯のようにオキ(炭)が溜まることは無い。だから一つ一つの薪は幅広く大きい。それでも完全燃焼できるのだ。またそのために、焼成時間も非常に短い。一般的にはバーナーでのあぶりが数時間、薪投入から12時間程度で焼成が完了する。

私が4月下旬にグラウンドホッグ・キルンを焚いたときは、あぶりに12時間、薪投入が15時間だった。これでも何とか長く引っ張ったのだが、上がる温度を止めることがとても難しかった。どちらかと言うと、酸化気味の焼成になりやすい。火口が広いので薪を入れるときに空気がたくさん窯の中に入るのと、煙突の断面積が広いので炎が煙突外に抜けやすいのではないかと思う。


グラウンドホッグ・キルンおよびノースカロライナの陶芸史の参考文献としては、陶芸家でもあり研究者でもある、ナンシー・スウィージー(Nancy Sweezy)氏の書いた「Raised in Clay」が最適だ。陶芸家としての観点から見た、細かいデータやメモ、ノート、写真がこの1冊にまとめられている。

ノースカロライナ大出版の、この本の紹介ページ
http://uncpress.unc.edu/books/T-1341.html






また、日本語で書かれた文献で「グラウンドホッグ窯」に言及しているのは、日本工芸の研究の第一人者であり、スミソニアン博物館フリーアギャラリーの学芸員、ルイーズ・アリソン・コート(Louise Allison Cort)氏の「アメリカにおける薪窯焼成の歴史」の記事だろう。このアーティクルは滋賀県立陶芸の森の「大信楽展」(2001年開催)の展覧会図録に集録されてある。

陶芸の森ウェブサイトより
http://www.sccp.jp/modules/tinyd1/rewrite/past_H13.html