Saturday, September 30, 2006

陶芸ワークショップ@NCPC

9月15・16日と2日間にわたり、ノースキャロライナ・ポタリーセンターで陶芸ワークショップが行われた。ゲストアーティストは、ノースキャロライナ州西部ベーカーズビルで工房を持ち制作に励む、スージィ・リンジー氏とケント・マクラフリン氏だ。

Suze Lindsay


Kent Mclaghlin

初めて会った2人の印象は、「山」だった。2人ともすごく背が高くて、スージィは多分180cm以上、ケントは2mに近いと思う。話していると上の方から声がするので、見上げて話すこっちは首が痛い(笑)。

さておき、ポタリーセンターでのワークショップは、昨年のデイヴィッド・ステンフリ氏から約1年ぶり。今回も14人の参加者が揃い、スージィ&ケントのワークショップは始まった。2人ともロクロを使い、どんどん器を作っていく。時に制作上の重要なポイントを話し、また冗談(ボケ&ツッコミ)も忘れない。


彼らの制作スタイルは、アジアの陶芸に強く影響を受けたものだ。2人の恩師であるウォーレン・マッケンジー氏は、ミネソタで民芸の精神を実践する偉大な陶芸家だ。また近年は、中国でのワークショップや視察旅行を重ね、米中の陶芸文化交流を率先している。

スージィの作品

たくさんのアイディアとヒントが詰まった、充実した2日間だった。

Sunday, July 30, 2006

コーネル大学でワークショップを開く

Ithaca (イサカとカタカナで表記するのだろうけど、ちっとも正しくない発音だ)は、NY州北部、湖に近い辺りにある、こじんまりとした美しい町だ。アイビーの一つコーネル大学、谷を挟んだ向かい側にあるIthaca College の2つの大学関係者で、その人口の大半を占めるという。

NC州シーグローブを月曜日の夕方出発し、途中バージニア州にある小さな町で1泊し、次の日早くにホテルを発ち、ルート81号をひたすら北上した。バージニア州、ウェストバージニア州、メリーランド州、ペンシルバニア州と超えて、NY州Ithacaにたどり着いたのは2日目の午後6時。のべ12時間の運転で、距離は1100kmを超えた。

今回はコーネル大学の陶芸スタジオで、ワークショップとレクチャーをするためにやってきた。ちなみに、コーネル大は芸術学部のプログラムが非常に充実していて、さらに併設されている大学の美術館は、自治体の運営する公立美術館などよりもよっぽど大きかったりする。今日はスタジオで道具と土を準備し、先週登り窯で焼いたばかりの器を参考のために並べて、後は構内を散策して、ホテルに帰って来た。レクチャーのための資料も作っておかなければ。
コーネル大学は、1868年に、エズラ・コーネルによってNY州Ithacaに開設された。アメリカ北東部にある8つの大学で構成された「アイビーリーグ」の一つで、歴史があり、入学志願者の多い人気校だ。コーネル大学のあるIthacaは人口3万人、フィンガー・レイクス地方と呼ばれるニューヨーク州の中部に位置し、NYCからは約400km離れている。

3年前に一度、大学附属美術館を見るために訪れたことはあったが、仕事のために滞在するのは初めてだ。私たちを招いてくれた、コーディネーターのアンディ・パルマー氏に連れられて、美術館や構内を歩く。丘の上に美しい校舎や時計台が建ち、古き良き雰囲気を醸し出している。
ワークショップでは、NCから持参した原土を何種類か使い、ロクロを挽き、大鉢や皿、急須、壷などを2日間かけて作った。参加者は2~30人ぐらいだった。皆、非常にまじめに、時にノートをとりながらしっかり聞いている。

今回、特に強調したのは、自然の原料・原土を使い、自分のオリジナルの素材を大切に使うことだった。私たちの陶芸はとてもシンプルで、掘った土を水ひして土をつくり、焼締か、または化粧や灰釉を使って装飾をし、薪の窯で焚く、というものだ。ビルの中に作られ、設備が整った限りある空間である学校内のスタジオでは、なかなか経験できないものなので(原始的とも言えるが)、逆に興味深かったのではないかと思う。

1日目の最後には、前の晩に何とか用意した、スライドプレゼンテーションを行った。信楽の写真や、マサチューセッツ州、ヴァージニア州、そしてシーグローブのやきもののことを紹介した。

2日目は、前日の作品の仕上げに加えて、シーグローブから持ってきた竹を使った竹の道具ワークショップを開き、各自弓や竹べらを作った。また磁器土を使ったはんこワークショップも行い、自分の名前を彫ってはんこを作った。

大勢の人の前で、英語で話し、作品を作り、短時間で仕上げて、しかも皆に満足してもらうというのは、よほど慣れた人でない限りは、いつまでたっても結構苦痛なものだ。だが、新しい人たちとの出会いや情報交換、ネットワーク作りは、自分の見識を広げるためにとても大切なことだと、いつも思う。

Thursday, April 27, 2006

窯出し その2

朝から、また雨だった。梅雨の季節になったのかと思わせるような天気。

今日は二の間(塩窯)の窯出しだ。朝、ドアブロックの穴から熱気を確認して、出せる温度にまで下がったことを確認。ひとつひとつ、ブロックを掃除しながら降ろしていく。

二の間の中は、思ったよりも、「茶色」な仕上がりだった。



仕事があったので、ドアを全開にしたままにした。夕方になり、窯出しを再開。
窯焚きを手伝ってくれた柴田や友人のジョー、そしてジョーの彼女のクリスティーも来た。

二の間の最も熱かった部分はコーン12番が完倒していた。塩はよく溶けていたようだ。

また、ひとつの窯焚きを通じて、多くのことを学んだ。
きっといつまでも、毎回学びながら窯を焚くのだろうけど。

明比のカップたち


明比の大皿たち



柴田の作った小壷や茶碗。この近辺の原土何種類かを混ぜ合わせて作った土。薪窯に良い土ができた。

Wednesday, April 26, 2006

窯出し その1

窯の口から出る熱気がだいぶん低くなってきて、一の間はもう十分温度が下がっていたので、ついに窯出しをすることにした。

積み上げているブロックを、ひとつひとつ丁寧にはずしていくと、中から器が顔を出した。

柴田の焼き締め茶碗

柴田の作った焼き締め大壷

今回はできるだけ時間をかけて還元をかけ、温度もしっかり上げた。やはり、よく焼けていたようだ。土肌もしっとりとして、掛かった灰もところどころ窯変している。コーンパックスは、最もよく焼けているところで12番が完倒していた。

注意深く目(器の底についている道具土)を取り、中、外、高台などを確認しながら、窯から出していく。

やっぱり、焼きが甘いよりは、焼き過ぎぐらいが丁度いいのかもしれない。

今日は一の間で止めておく。天気もよくないし、まだ二の間は温度が高いからだ。二の間には岩塩を投入して、塩による変化が出ているはずだ。うまくいっていればいいのだけど。

灰釉のテスト。灰は窯からかき出した木灰(樫と松)


明比の大鉢たち

焼き締め大壷(柴田作)

Monday, April 24, 2006

登り窯を焚く


4月22日~23日は、登り窯を焚くことになっていた。ほぼ4ヶ月ぶりの登り窯焼成。

3月から、仕事の合間に、作品制作、素焼き、釉がけ、と準備をしてきた。先々週の週末には、大奮発して、ハスクバーナのチェンソーも買い($240)、薪も切った。

とても良いチェンソーなので、よかったら参考に。
ハスクバーナのウェブサイト 
http://www.jp.husqvarna.com/

金曜日夕方から、窯詰めを始めた。薪窯は、ひとつひとつの作品の底に、目(小さな道具土の玉)を数個ずつ、貼っていかなければならない。ガスや電気の窯とは違い、とても手間がかかる。深夜に入り、窯の奥側2段目まで積んで、中断。窯焚きのことを考えると、今無理はできない。



土曜日の早朝7時半に、雷の音で目が覚める。サンダーストームのようだ。慌てて窯に行き、外に出ていた器をスタジオに入れる。案の定、カミナリと大粒の雨、強い風に見まわれる。



小降りになって、窯詰めを始める。せっかく時間を掛けて作品を作り、またさまざまな準備をしてきたのに、窯詰めでしくじると、窯焚きや器の焼きが散々なことになる。

前回(2005年12月)にこの窯を焼成したときは、作品の数が足りなくて、余裕のありすぎる窯詰めだったので、数がたっぷりある今回は、しっかり詰めていく。

二の間の窯詰めの様子


午後7時に窯詰めを終えた。登り窯のドアを、レンガで積み上げ、これからあぶりに入る。

ポタリーセンターのこの登り窯は2000年に、「ロッククリーク・ポタリー」という陶芸スタジオの陶芸家、ウィル・ラグルスとダグラス・ランキンがゲストアーティストとして招かれ、築窯ワークショップで築いたものだ。彼らのスタジオは、ノースキャロライナ州西部、ペンランドより少し北側のベーカーズビルという村の山中にあり、空気のきれいな、美しい場所にある。電気も水道もないところで、小川の水を使って発電し、湧き水を生活用水に利用し、手作りの登り窯で、手作りの器を作り、薪で窯を焚く、という暮らしをしている。

ロッククリーク・ポタリーのウェブサイト: http://www.rockcreekpottery.com/

このロッククリーク・デザインの登り窯は、アメリカでは非常に人気があり、多くの人がこれとよく似た窯を作っている。日本の一般的な登り窯と比べると、とても小さい。幅2メートルぐらい、火袋、一の間、二の間、煙突、と合わせた全長は7メートルぐらいだろう。正確に測ってはないけど、一つの間の大きさが1立米ぐらいではないだろうか。ちなみに火袋にはものが詰められず、火力源としての役割しか持たない。そして全ての焚き口にはロストルがあって、効率よく薪が燃えるようになっている。

さて、土曜日(22日)の午後7時から、ガスバーナーであぶりを始めた。数時間は休みが取れるので、この間に食事と睡眠をできるだけ取っておく。

日付が変わった日曜日(23日)の夜中12時から、柴田が薪を少しずつ入れ始めた。小さな割り木を、火袋の火を育てるようにくべていく。午前2時から本格的に薪を入れていく。雨がまだ小ぶりで続いていて、湿気が多い。

朝7時、私と窯番を交代。火袋と一の間に順に薪をくべていく。 午前9時には、一の間の温度が高い場所のオートンコーン010番が倒れた。

注) オートンコーンとは、アメリカ・オハイオ州の「Orton」という会社の商品で、窯の中の温度によって倒れるようになっている小さなコーン状のもの。温度帯を変えて何本かを道具土に差したものを「コーンパックス」と呼ぶ。今回の薪窯焼成では、還元入りの温度を見るための「010番(オーテン)」と、温度が上がってきたころの温度と雰囲気を見るための「6番~12番」を使った、2種類のコーンパックスを作った。

コーンパックスと色見のリング。前回の窯焚きのもの

窯の雰囲気を強還元に変えるため、煙突のエアダンパーを開け、早いサイクルで多目の薪を入れる。煙突から黒い煙がたくさんでる。ここでしっかり還元をかけると、土がいい感じで変化するはずだ。

午後12時、柴田復活。2人で薪をくべていく。昨日のひどい天気とは正反対の快晴。気温が上がり、湿度も高いので、余計に体力を奪う。

1時に、友人のジョーが手伝いに来てくれる。ちょっと変わってもらって、昼食を作りに一時帰宅。4時にジョーが帰る。これから窯を焚き上げるまでは、休憩は取れない。

午後6時、一の間の温度が低い部分のオルトンコーン10番が倒れる。火袋にしっかり薪をつめて、これで一の間は終わり。これから二の間(塩窯)に移る。

午後7時、二の間に薪を入れ始めてから30分もしないうちに、各部分のコーン6番が倒れ始める。用意しておいたロックソルト(1cmぐらいの大きさの岩塩の粒)5kgを数回に分けて、ちょっと広めの薪の上に乗せ、焚き口から窯の中へめがけて振り上げると、岩塩がいろいろな場所に弾けて飛んで行く。これから、しっかり塩を焼ききらねばならない。

午後9時、温度が一番低い部分のコーン10番が動いた。小さな窓から鉄の棒を差し込み、色見(リング状の土)を抜く。水で急冷して表面を見ると、塩と灰がしっかり乗り、土の色も良い。

9時半になり、最後の10番が倒れた。これで窯焚きも終わりだ。

ガスバーナーでの焙り5時間、薪での焼成約20時間であった。 窯出しは、おそらく3日後の水曜日。とても楽しみだ。

あとは冷えるのを待つのみ

Saturday, March 18, 2006

イギリス陶芸事情⑧

磁器練り込み作家 ドロシー・ファイブルマン氏

ロンドンのダウンタウン、ブリクストンという地区に、ファイブルマン氏は自宅兼工房を構えて30年になる。

彼女とは知り合ってからもう10年にもなるが、陶芸家というだけではなく最も親しい友人として、例えどちらがどの国にいようとも連絡を絶やさずに、親しくさせてもらっている。今回のイギリス陶芸リサーチに関しても、全面的なサポートをいただいた。

アメリカ・インディアナ州出身の彼女は、全米での最もレベルの高い陶芸デザイン科のある、ロチェスター工科大学を卒業後すぐアメリカを離れ、イギリスに渡る。10代のころから影響を受けた東ヨーロッパの民族衣装や工芸品、エジプトの古代ガラス、ヨーロッパのクラフツマン気質、など、拠点を変えた理由はたくさんあるようだ。

磁器土による練り込み一筋に、作品制作を続ける彼女の作品は、繊細で、手の中で壊れてしまいそうな雰囲気と共に、ピキッとした強さや硬さも持ち合わせ、非常に美しい。

またここ10年ほど、彼女の制作の主流になっている、透光性のある磁器練り込み作品は、光が当たるとその見た目を一変してしまう。何十、何百もの原料を多彩に使い分け、一つの作品を組み立ててゆく。 ディテールの細かさはため息が出るほどに複雑で、どれほど集中力と根気がいるのだろうと、考えてしまう。

上記2つの作品は、同じもの。光を当てると、雰囲気が変わる。



近年、常滑市内にスタジオを借りて、制作に励んでいる。

常滑、台湾、中国、NY、シカゴ、インディアナポリス、ロンドン、東ヨーロッパ各国を、まるでちょっとした旅行に出かけるかのように駆け巡る。彼女にとって、世界は、いや地球は、普通の人よりも遥かに狭く小さい。

Monday, March 13, 2006

イギリス陶芸事情⑦

マイケル・ポスナーさんの工房を訪ねて

マイケル・ポスナーさんは、2004年秋に2ヶ月間、信楽窯業技術試験場で、油滴天目釉の研究をしていた。当時臨時雇用で、試験場で働いていた私は、共通の友人(ロンドンのギャラリーのオーナー)の紹介もあり、また平和堂ショッピング仲間として、マイケルさんと親しくさせてもらった。

あれからちょうど1年。今度はロンドンで再会することになった。

マイケルさんは、ロンドンの北の方に、ダートマスパークポテリーという工房を持っている。地下鉄ノーザンラインに乗り、Archwayで降りる。約10分ぐらいで、閑静な住宅街の中に、突然ギャラリーが現れた。



久しぶりに会うマイケルさんは、とても元気そうだ。
ミルクティーをいただきながら、これまでの近況をいろいろ話し合う。


そういえば、前は信楽に住んでいて、今度はアメリカ・ノースキャロライナに引っ越して、今はロンドンに長期滞在中なんだなあと思うと、この1年の激動ぶりがしみじみと思い起こされる。

さて、マイケルさんの作品は、何と言っても、天目釉。
そして「昨日窯出ししたばかりなんだよ」、と見せてくれたのは、油滴の浮かび上がった、抹茶碗だった。たった一つの抹茶碗。それが、とても苦労してやっとできたものだ、と言うマイケルさんは、本当にうれしそうだ。

自分で納得のいく油滴天目茶碗ができたら、信楽に行って、信楽窯業試験場の先生方に成果を見せたいのだそうだ。

工房訪問の後、マイケルさんの自宅で、奥さんのラスさんと一緒に、夕飯をいただいた。 二人とも日本が大好きで、しかもよくご存知だ。日本人の自分の方が日本に関する知識が浅いのではないか、と思うこともしばしば。

有朋自遠方来、不亦楽乎。

世界のどこであっても、やきものを通じて人やものと出会い、こうしてつながりが広がっていくことは、やきものが本来持つ世界観なのかもしれない。

Sunday, March 12, 2006

イギリス陶芸事情⑥

高架下のアーティストたち

話は逆行するが、ロンドンに到着して4、5日経ち、時差ぼけが取れつつあったころ、ギャラリーのオーナーの紹介で、薪窯の陶芸家と会うことになった。彼の名前は、ジョン・バッラー。数年前に大学を卒業したばかりの、若い陶芸家だ。日本やアメリカのやきものに興味があるという。

冷たい雨の降る午後、私が滞在している友人宅に、彼は時間通りに来た。ジョンと、友人と、私の3人で、温かいミルクティーを飲みつつ、他愛もない話しに花が咲く。友人は在英30年超のアメリカ人、私は在米日本人、彼にとっては、何とも不思議な輩だろう。

彼はロンドンのダウンタウンに、スタジオを持っている。高架下にスタジオ・コンプレックスがあって、たくさんのアーティストがスタジオを持って制作活動をしているらしい。今日もそこから、マウンテンバイクでここまで来たようだ。

「高架下のスタジオ」にちょっと興味があったので、次の日友人と一緒に、ジョンを訪ねて行くことにした。

友人宅から歩いて20分ぐらいで、その住所に着いた。
なるほど、鉄道の高架下だ。



大きな鉄の扉をノックすると、中からジョンが出てきた。

中は思ったより広く、迷路のようになっている。最初2階に案内されると、アーチの形をした高い天井が現れた。窓からは自然光がやわらかく差し込んでくる。昔通っていた大学の、美術教室に似ているような気がした。



中2階には、公共のスペースのホールがあり、オープニングパーティーやフィルムの試写会などが頻繁に行われるらしい。

そして1階に下りると、少し天井は低くなるが、白い壁で仕切られた、もっとプライバシーの保たれたスタジオが並んでいた。ジョンのスタジオスペースはそこにあった。8畳?ぐらいの小さなスペースいっぱいに、ロクロと、テーブルと、焼かれた作品の数々がひしめく。



高架下の小さなスペースであっても、物価の異常に高いロンドンでは、決して安い物件ではない。個人のスペース代、管理費、電気水道合計で、月£200(約4万円強)かかるそうだ。

窯はどこにあるの?と聞くと、彼の出身地、イギリス南部地方のサマセット州にある、古い農家の敷地を借りて、穴窯を作ったのだという。年3回、焼成する。窯の写真を見せてもらうと、信楽の穴窯のような形、でもなぜか煙突が2本、窯の両腹から上に向かって突き出ている。焼成を見たわけではないので、何ともいえないが、火前も奥も、窯変がうまく取れるらしい。

いつか広い土地を買って、そこにスタジオと窯を築いて、自分の作品で生活していけたら、とジョンは言う。

どこか閉塞感を感じざるを得ないイギリス陶芸の未来は、彼のような、よく働く若いアーティストが、その可能性を握っているのかもしれない、と思った。

Thursday, March 09, 2006

イギリス陶芸事情⑤

ウェールズへ

デヴォンでの滞在を終え、M5を北上して海上の橋を渡ると、ウェールズに入った。
*MはMotor Way の略で、高速道路を示す。
イギリスもアメリカと同様、一部区間を除き、基本的に高速道路は無料。

標識を見ると、英語とウェールズ語の両方が表記してあった。

ニューポートに入る前に県道に逸れ、北上を続ける途中、目を見張るような遺跡に出会う。
「Tintern Abbey」という、13世紀に建てられた修道院の跡だった。
車を止め、しばし見とれる。



Monmouth という古い町で宿を取る。

ここは観光地のようだが、とにかく建物が古く、道が細く曲がっていて分りにくい。
おそらく、どこの古い町にもあるように、馬車を引いていた時代から続く道路は、
右折も左折も、サークルの円の中に入ってから、抜け出るようになっているのだ。
そして、冷たい空気と、まとわり着くような湿気。
幽霊が出ても、おかしくないような雰囲気だ。

翌朝、約束の時間に、ウォルター・キーラー氏のスタジオに着く。キーラー氏は、イギリスが誇る陶芸家であり、その名声はアメリカでも高く、非常に尊敬されている。

が、キーラー氏は、そんなそぶりは全く見せず、気さくに、そして丁寧に、話をしてくれる。

エクストルーダー(粘土の鉄型による押し出し成型機)、たたら成型、ろくろ成型などのコンビネーションによる、端正な作りの器。 やさしい色使いと、穏やかな人柄は、作品の中に溶け合う。




スタジオは2つあり、使う土によって変えているそうだ。
窯はガス窯で、最後に塩を使う。



ブランチをご馳走になり、いつまでもやきものの話は後が尽きない。

そして、前から欲しかった、キーラー氏の、青い塩釉のピッチャーを買う。
割れないように、大切に、ノースキャロライナに持って帰ろう。

キーラー氏の家を出て、M4に乗り、ひたすらロンドンを目指す。

会ったこともない、そして有名でもない、アメリカ在住日本人陶芸家に、 どの人も、本当に暖かく、優しかった。 遠いとこからよく来てくれた、と、目を細めて迎えてくれた。

本や写真だけで見ただけでは、やはり分らないものだ。 実際に訪ね、話し、仕事場を見せてもらうと、作品作りへの姿勢や人柄がよく見えるし、理解できる。一緒に仕事をすると、もっと分るのだろうけど。

やきものが大好きな人たちが、お互いを理解し合い、そのつながりが世界中に広まっていけば、言葉の違いや国境は、自然と意味をなくすだろう。

Saturday, March 04, 2006

イギリス陶芸事情④

デヴォン州への旅

ロンドン滞在も4週間目に入ろうとしたころ、薪窯の作家を訪ねるために、レンタカーを借りて、デヴォン州へリサーチ旅行に出かけた。

デヴォン州はロンドンから南西の方向にあり、酪農が盛んな美しい地域だ。デヴォンのクリームは濃厚で、めちゃくちゃ美味しいのだ。


陶芸家ニック・コリンズ

まずは、ニック・コリンズ氏の住む、デヴォン州Moreton Hampsteadへ。ロンドンからは車で4時間ほどかかった。美しいこの町は、ちょっとした高台にあり、町のシンボルの教会は、1000年の歴史があるという。くねくね曲がった狭い道路が迷路のように巡っている。




ニックのスタジオは、そのくねくね道路の脇にある大きな樫の木の袂を、入っていったところにあった。
ハンドメイドの家と窯、野ざらしの作品たちが脇に並んでいる。

見かけと違い(笑)、ニックは穏やかで、やさしくて、静かな印象を持っている。初めて会う日本人に、丁寧な英語で、ゆっくりと話し、そして暖かく迎えてくれた。



土は、地元のものを使う。石はぜのように見えるのは、コーンウォール地方で取れる砂。蹴ロクロで、ゆっくりと、ひとつひとつ作っている。



薪窯は、穴窯に似ているけど、もっとシンプルな形で、トンネルのようだ。



夕飯をご馳走になり、やきものの話に花を咲かせ、夜遅くまでお世話になってしまう。
そして同じ町にある、かわいらしいB&Bで長旅の疲れを癒す。
オーナーのヴェロニカさんはアルゼンチン出身で、イギリスにやってきた。
用意してくれた朝食の、本当に美味しかったこと。




スヴェンド・ベイヤー氏

ニックの住む町Moreton Hampsteadから車で50分ほど北に行くと、Sheepwashという集落がある。
ここには、陶芸家スヴェンド・ベイヤー氏がスタジオを構える。

手入れの行き届いた、庭や建物。大きな森は、スヴェンドが植林したものだ。

私が到着したときは、窯の薪を整理していて、「薪を積み上げるのに、正しい方向があるんだよ。パズルのようにね。ちゃんと積み上げると、雨水がかかってもそれほど湿気ない。1日中でもやってて飽きないな。」と話す。



作品は、焼き締めで、豪快だ。とてもシンプルだ。
窯も、少しも狂わずブロックが積まれ、美しい形をしている。

アメリカ、アジア、ヨーロッパ、とさまざまな国でワークショップや展覧会をこなす。




クライブ・ボウエン氏

スヴェンドのスタジオから5分もしないうちに、陶芸家クライブ・ボウエン氏のスタジオに着く。この辺りに昔からある酪農家の家を購入し、スタジオを築いた。



低火度の土に色鮮やかな釉薬を重ねる。日本では「民芸」と評されるボウエン氏の作品だが、自分の生活を楽しく、暖かく、豊かなものにするための陶器を作り続けるというスタイルは、もはやカテゴライズの必要はないかもしれない。

デヴォン州には、この他ジョン・リーチ氏やペニー・シンプソン氏など、多くの陶芸家がスタジオを構え制作に励んでいる。交通の便利な地域ではないので、なかなか気軽に訪ねることはできないが、美しい自然と町並みの残るデヴォンは、イギリス陶芸の最前線と言えるだろう。