Kent Mclaghlin
さておき、ポタリーセンターでのワークショップは、昨年のデイヴィッド・ステンフリ氏から約1年ぶり。今回も14人の参加者が揃い、スージィ&ケントのワークショップは始まった。2人ともロクロを使い、どんどん器を作っていく。時に制作上の重要なポイントを話し、また冗談(ボケ&ツッコミ)も忘れない。
たくさんのアイディアとヒントが詰まった、充実した2日間だった。
世界の陶芸に関する個人的な見解を、不定期に綴ります。
明比のカップたち
明比の大皿たち
柴田の作った小壷や茶碗。この近辺の原土何種類かを混ぜ合わせて作った土。薪窯に良い土ができた。
柴田の焼き締め茶碗
柴田の作った焼き締め大壷
今回はできるだけ時間をかけて還元をかけ、温度もしっかり上げた。やはり、よく焼けていたようだ。土肌もしっとりとして、掛かった灰もところどころ窯変している。コーンパックスは、最もよく焼けているところで12番が完倒していた。
注意深く目(器の底についている道具土)を取り、中、外、高台などを確認しながら、窯から出していく。
やっぱり、焼きが甘いよりは、焼き過ぎぐらいが丁度いいのかもしれない。
今日は一の間で止めておく。天気もよくないし、まだ二の間は温度が高いからだ。二の間には岩塩を投入して、塩による変化が出ているはずだ。うまくいっていればいいのだけど。
灰釉のテスト。灰は窯からかき出した木灰(樫と松)
焼き締め大壷(柴田作)
小降りになって、窯詰めを始める。せっかく時間を掛けて作品を作り、またさまざまな準備をしてきたのに、窯詰めでしくじると、窯焚きや器の焼きが散々なことになる。
前回(2005年12月)にこの窯を焼成したときは、作品の数が足りなくて、余裕のありすぎる窯詰めだったので、数がたっぷりある今回は、しっかり詰めていく。
二の間の窯詰めの様子
午後7時に窯詰めを終えた。登り窯のドアを、レンガで積み上げ、これからあぶりに入る。
ポタリーセンターのこの登り窯は2000年に、「ロッククリーク・ポタリー」という陶芸スタジオの陶芸家、ウィル・ラグルスとダグラス・ランキンがゲストアーティストとして招かれ、築窯ワークショップで築いたものだ。彼らのスタジオは、ノースキャロライナ州西部、ペンランドより少し北側のベーカーズビルという村の山中にあり、空気のきれいな、美しい場所にある。電気も水道もないところで、小川の水を使って発電し、湧き水を生活用水に利用し、手作りの登り窯で、手作りの器を作り、薪で窯を焚く、という暮らしをしている。
ロッククリーク・ポタリーのウェブサイト: http://www.rockcreekpottery.com/
このロッククリーク・デザインの登り窯は、アメリカでは非常に人気があり、多くの人がこれとよく似た窯を作っている。日本の一般的な登り窯と比べると、とても小さい。幅2メートルぐらい、火袋、一の間、二の間、煙突、と合わせた全長は7メートルぐらいだろう。正確に測ってはないけど、一つの間の大きさが1立米ぐらいではないだろうか。ちなみに火袋にはものが詰められず、火力源としての役割しか持たない。そして全ての焚き口にはロストルがあって、効率よく薪が燃えるようになっている。
さて、土曜日(22日)の午後7時から、ガスバーナーであぶりを始めた。数時間は休みが取れるので、この間に食事と睡眠をできるだけ取っておく。
日付が変わった日曜日(23日)の夜中12時から、柴田が薪を少しずつ入れ始めた。小さな割り木を、火袋の火を育てるようにくべていく。午前2時から本格的に薪を入れていく。雨がまだ小ぶりで続いていて、湿気が多い。
朝7時、私と窯番を交代。火袋と一の間に順に薪をくべていく。 午前9時には、一の間の温度が高い場所のオートンコーン010番が倒れた。
注) オートンコーンとは、アメリカ・オハイオ州の「Orton」という会社の商品で、窯の中の温度によって倒れるようになっている小さなコーン状のもの。温度帯を変えて何本かを道具土に差したものを「コーンパックス」と呼ぶ。今回の薪窯焼成では、還元入りの温度を見るための「010番(オーテン)」と、温度が上がってきたころの温度と雰囲気を見るための「6番~12番」を使った、2種類のコーンパックスを作った。
コーンパックスと色見のリング。前回の窯焚きのもの
窯の雰囲気を強還元に変えるため、煙突のエアダンパーを開け、早いサイクルで多目の薪を入れる。煙突から黒い煙がたくさんでる。ここでしっかり還元をかけると、土がいい感じで変化するはずだ。
午後12時、柴田復活。2人で薪をくべていく。昨日のひどい天気とは正反対の快晴。気温が上がり、湿度も高いので、余計に体力を奪う。
1時に、友人のジョーが手伝いに来てくれる。ちょっと変わってもらって、昼食を作りに一時帰宅。4時にジョーが帰る。これから窯を焚き上げるまでは、休憩は取れない。
午後6時、一の間の温度が低い部分のオルトンコーン10番が倒れる。火袋にしっかり薪をつめて、これで一の間は終わり。これから二の間(塩窯)に移る。
午後7時、二の間に薪を入れ始めてから30分もしないうちに、各部分のコーン6番が倒れ始める。用意しておいたロックソルト(1cmぐらいの大きさの岩塩の粒)5kgを数回に分けて、ちょっと広めの薪の上に乗せ、焚き口から窯の中へめがけて振り上げると、岩塩がいろいろな場所に弾けて飛んで行く。これから、しっかり塩を焼ききらねばならない。
午後9時、温度が一番低い部分のコーン10番が動いた。小さな窓から鉄の棒を差し込み、色見(リング状の土)を抜く。水で急冷して表面を見ると、塩と灰がしっかり乗り、土の色も良い。
9時半になり、最後の10番が倒れた。これで窯焚きも終わりだ。
ガスバーナーでの焙り5時間、薪での焼成約20時間であった。 窯出しは、おそらく3日後の水曜日。とても楽しみだ。
あとは冷えるのを待つのみ
上記2つの作品は、同じもの。光を当てると、雰囲気が変わる。
近年、常滑市内にスタジオを借りて、制作に励んでいる。
常滑、台湾、中国、NY、シカゴ、インディアナポリス、ロンドン、東ヨーロッパ各国を、まるでちょっとした旅行に出かけるかのように駆け巡る。彼女にとって、世界は、いや地球は、普通の人よりも遥かに狭く小さい。
久しぶりに会うマイケルさんは、とても元気そうだ。
ミルクティーをいただきながら、これまでの近況をいろいろ話し合う。
そういえば、前は信楽に住んでいて、今度はアメリカ・ノースキャロライナに引っ越して、今はロンドンに長期滞在中なんだなあと思うと、この1年の激動ぶりがしみじみと思い起こされる。
さて、マイケルさんの作品は、何と言っても、天目釉。
そして「昨日窯出ししたばかりなんだよ」、と見せてくれたのは、油滴の浮かび上がった、抹茶碗だった。たった一つの抹茶碗。それが、とても苦労してやっとできたものだ、と言うマイケルさんは、本当にうれしそうだ。
自分で納得のいく油滴天目茶碗ができたら、信楽に行って、信楽窯業試験場の先生方に成果を見せたいのだそうだ。
工房訪問の後、マイケルさんの自宅で、奥さんのラスさんと一緒に、夕飯をいただいた。 二人とも日本が大好きで、しかもよくご存知だ。日本人の自分の方が日本に関する知識が浅いのではないか、と思うこともしばしば。
有朋自遠方来、不亦楽乎。
世界のどこであっても、やきものを通じて人やものと出会い、こうしてつながりが広がっていくことは、やきものが本来持つ世界観なのかもしれない。
大きな鉄の扉をノックすると、中からジョンが出てきた。
中は思ったより広く、迷路のようになっている。最初2階に案内されると、アーチの形をした高い天井が現れた。窓からは自然光がやわらかく差し込んでくる。昔通っていた大学の、美術教室に似ているような気がした。
中2階には、公共のスペースのホールがあり、オープニングパーティーやフィルムの試写会などが頻繁に行われるらしい。
そして1階に下りると、少し天井は低くなるが、白い壁で仕切られた、もっとプライバシーの保たれたスタジオが並んでいた。ジョンのスタジオスペースはそこにあった。8畳?ぐらいの小さなスペースいっぱいに、ロクロと、テーブルと、焼かれた作品の数々がひしめく。
Monmouth という古い町で宿を取る。
ここは観光地のようだが、とにかく建物が古く、道が細く曲がっていて分りにくい。
おそらく、どこの古い町にもあるように、馬車を引いていた時代から続く道路は、
右折も左折も、サークルの円の中に入ってから、抜け出るようになっているのだ。
そして、冷たい空気と、まとわり着くような湿気。
幽霊が出ても、おかしくないような雰囲気だ。
翌朝、約束の時間に、ウォルター・キーラー氏のスタジオに着く。キーラー氏は、イギリスが誇る陶芸家であり、その名声はアメリカでも高く、非常に尊敬されている。
が、キーラー氏は、そんなそぶりは全く見せず、気さくに、そして丁寧に、話をしてくれる。
エクストルーダー(粘土の鉄型による押し出し成型機)、たたら成型、ろくろ成型などのコンビネーションによる、端正な作りの器。 やさしい色使いと、穏やかな人柄は、作品の中に溶け合う。
スタジオは2つあり、使う土によって変えているそうだ。
窯はガス窯で、最後に塩を使う。
ブランチをご馳走になり、いつまでもやきものの話は後が尽きない。
そして、前から欲しかった、キーラー氏の、青い塩釉のピッチャーを買う。
割れないように、大切に、ノースキャロライナに持って帰ろう。
キーラー氏の家を出て、M4に乗り、ひたすらロンドンを目指す。
会ったこともない、そして有名でもない、アメリカ在住日本人陶芸家に、 どの人も、本当に暖かく、優しかった。 遠いとこからよく来てくれた、と、目を細めて迎えてくれた。
本や写真だけで見ただけでは、やはり分らないものだ。 実際に訪ね、話し、仕事場を見せてもらうと、作品作りへの姿勢や人柄がよく見えるし、理解できる。一緒に仕事をすると、もっと分るのだろうけど。
やきものが大好きな人たちが、お互いを理解し合い、そのつながりが世界中に広まっていけば、言葉の違いや国境は、自然と意味をなくすだろう。
ニックのスタジオは、そのくねくね道路の脇にある大きな樫の木の袂を、入っていったところにあった。
ハンドメイドの家と窯、野ざらしの作品たちが脇に並んでいる。
見かけと違い(笑)、ニックは穏やかで、やさしくて、静かな印象を持っている。初めて会う日本人に、丁寧な英語で、ゆっくりと話し、そして暖かく迎えてくれた。
土は、地元のものを使う。石はぜのように見えるのは、コーンウォール地方で取れる砂。蹴ロクロで、ゆっくりと、ひとつひとつ作っている。
薪窯は、穴窯に似ているけど、もっとシンプルな形で、トンネルのようだ。
夕飯をご馳走になり、やきものの話に花を咲かせ、夜遅くまでお世話になってしまう。
そして同じ町にある、かわいらしいB&Bで長旅の疲れを癒す。
オーナーのヴェロニカさんはアルゼンチン出身で、イギリスにやってきた。
用意してくれた朝食の、本当に美味しかったこと。
スヴェンド・ベイヤー氏
ニックの住む町Moreton Hampsteadから車で50分ほど北に行くと、Sheepwashという集落がある。
ここには、陶芸家スヴェンド・ベイヤー氏がスタジオを構える。
手入れの行き届いた、庭や建物。大きな森は、スヴェンドが植林したものだ。
私が到着したときは、窯の薪を整理していて、「薪を積み上げるのに、正しい方向があるんだよ。パズルのようにね。ちゃんと積み上げると、雨水がかかってもそれほど湿気ない。1日中でもやってて飽きないな。」と話す。
作品は、焼き締めで、豪快だ。とてもシンプルだ。
窯も、少しも狂わずブロックが積まれ、美しい形をしている。
アメリカ、アジア、ヨーロッパ、とさまざまな国でワークショップや展覧会をこなす。