Saturday, March 18, 2006

イギリス陶芸事情⑧

磁器練り込み作家 ドロシー・ファイブルマン氏

ロンドンのダウンタウン、ブリクストンという地区に、ファイブルマン氏は自宅兼工房を構えて30年になる。

彼女とは知り合ってからもう10年にもなるが、陶芸家というだけではなく最も親しい友人として、例えどちらがどの国にいようとも連絡を絶やさずに、親しくさせてもらっている。今回のイギリス陶芸リサーチに関しても、全面的なサポートをいただいた。

アメリカ・インディアナ州出身の彼女は、全米での最もレベルの高い陶芸デザイン科のある、ロチェスター工科大学を卒業後すぐアメリカを離れ、イギリスに渡る。10代のころから影響を受けた東ヨーロッパの民族衣装や工芸品、エジプトの古代ガラス、ヨーロッパのクラフツマン気質、など、拠点を変えた理由はたくさんあるようだ。

磁器土による練り込み一筋に、作品制作を続ける彼女の作品は、繊細で、手の中で壊れてしまいそうな雰囲気と共に、ピキッとした強さや硬さも持ち合わせ、非常に美しい。

またここ10年ほど、彼女の制作の主流になっている、透光性のある磁器練り込み作品は、光が当たるとその見た目を一変してしまう。何十、何百もの原料を多彩に使い分け、一つの作品を組み立ててゆく。 ディテールの細かさはため息が出るほどに複雑で、どれほど集中力と根気がいるのだろうと、考えてしまう。

上記2つの作品は、同じもの。光を当てると、雰囲気が変わる。



近年、常滑市内にスタジオを借りて、制作に励んでいる。

常滑、台湾、中国、NY、シカゴ、インディアナポリス、ロンドン、東ヨーロッパ各国を、まるでちょっとした旅行に出かけるかのように駆け巡る。彼女にとって、世界は、いや地球は、普通の人よりも遥かに狭く小さい。

Monday, March 13, 2006

イギリス陶芸事情⑦

マイケル・ポスナーさんの工房を訪ねて

マイケル・ポスナーさんは、2004年秋に2ヶ月間、信楽窯業技術試験場で、油滴天目釉の研究をしていた。当時臨時雇用で、試験場で働いていた私は、共通の友人(ロンドンのギャラリーのオーナー)の紹介もあり、また平和堂ショッピング仲間として、マイケルさんと親しくさせてもらった。

あれからちょうど1年。今度はロンドンで再会することになった。

マイケルさんは、ロンドンの北の方に、ダートマスパークポテリーという工房を持っている。地下鉄ノーザンラインに乗り、Archwayで降りる。約10分ぐらいで、閑静な住宅街の中に、突然ギャラリーが現れた。



久しぶりに会うマイケルさんは、とても元気そうだ。
ミルクティーをいただきながら、これまでの近況をいろいろ話し合う。


そういえば、前は信楽に住んでいて、今度はアメリカ・ノースキャロライナに引っ越して、今はロンドンに長期滞在中なんだなあと思うと、この1年の激動ぶりがしみじみと思い起こされる。

さて、マイケルさんの作品は、何と言っても、天目釉。
そして「昨日窯出ししたばかりなんだよ」、と見せてくれたのは、油滴の浮かび上がった、抹茶碗だった。たった一つの抹茶碗。それが、とても苦労してやっとできたものだ、と言うマイケルさんは、本当にうれしそうだ。

自分で納得のいく油滴天目茶碗ができたら、信楽に行って、信楽窯業試験場の先生方に成果を見せたいのだそうだ。

工房訪問の後、マイケルさんの自宅で、奥さんのラスさんと一緒に、夕飯をいただいた。 二人とも日本が大好きで、しかもよくご存知だ。日本人の自分の方が日本に関する知識が浅いのではないか、と思うこともしばしば。

有朋自遠方来、不亦楽乎。

世界のどこであっても、やきものを通じて人やものと出会い、こうしてつながりが広がっていくことは、やきものが本来持つ世界観なのかもしれない。

Sunday, March 12, 2006

イギリス陶芸事情⑥

高架下のアーティストたち

話は逆行するが、ロンドンに到着して4、5日経ち、時差ぼけが取れつつあったころ、ギャラリーのオーナーの紹介で、薪窯の陶芸家と会うことになった。彼の名前は、ジョン・バッラー。数年前に大学を卒業したばかりの、若い陶芸家だ。日本やアメリカのやきものに興味があるという。

冷たい雨の降る午後、私が滞在している友人宅に、彼は時間通りに来た。ジョンと、友人と、私の3人で、温かいミルクティーを飲みつつ、他愛もない話しに花が咲く。友人は在英30年超のアメリカ人、私は在米日本人、彼にとっては、何とも不思議な輩だろう。

彼はロンドンのダウンタウンに、スタジオを持っている。高架下にスタジオ・コンプレックスがあって、たくさんのアーティストがスタジオを持って制作活動をしているらしい。今日もそこから、マウンテンバイクでここまで来たようだ。

「高架下のスタジオ」にちょっと興味があったので、次の日友人と一緒に、ジョンを訪ねて行くことにした。

友人宅から歩いて20分ぐらいで、その住所に着いた。
なるほど、鉄道の高架下だ。



大きな鉄の扉をノックすると、中からジョンが出てきた。

中は思ったより広く、迷路のようになっている。最初2階に案内されると、アーチの形をした高い天井が現れた。窓からは自然光がやわらかく差し込んでくる。昔通っていた大学の、美術教室に似ているような気がした。



中2階には、公共のスペースのホールがあり、オープニングパーティーやフィルムの試写会などが頻繁に行われるらしい。

そして1階に下りると、少し天井は低くなるが、白い壁で仕切られた、もっとプライバシーの保たれたスタジオが並んでいた。ジョンのスタジオスペースはそこにあった。8畳?ぐらいの小さなスペースいっぱいに、ロクロと、テーブルと、焼かれた作品の数々がひしめく。



高架下の小さなスペースであっても、物価の異常に高いロンドンでは、決して安い物件ではない。個人のスペース代、管理費、電気水道合計で、月£200(約4万円強)かかるそうだ。

窯はどこにあるの?と聞くと、彼の出身地、イギリス南部地方のサマセット州にある、古い農家の敷地を借りて、穴窯を作ったのだという。年3回、焼成する。窯の写真を見せてもらうと、信楽の穴窯のような形、でもなぜか煙突が2本、窯の両腹から上に向かって突き出ている。焼成を見たわけではないので、何ともいえないが、火前も奥も、窯変がうまく取れるらしい。

いつか広い土地を買って、そこにスタジオと窯を築いて、自分の作品で生活していけたら、とジョンは言う。

どこか閉塞感を感じざるを得ないイギリス陶芸の未来は、彼のような、よく働く若いアーティストが、その可能性を握っているのかもしれない、と思った。

Thursday, March 09, 2006

イギリス陶芸事情⑤

ウェールズへ

デヴォンでの滞在を終え、M5を北上して海上の橋を渡ると、ウェールズに入った。
*MはMotor Way の略で、高速道路を示す。
イギリスもアメリカと同様、一部区間を除き、基本的に高速道路は無料。

標識を見ると、英語とウェールズ語の両方が表記してあった。

ニューポートに入る前に県道に逸れ、北上を続ける途中、目を見張るような遺跡に出会う。
「Tintern Abbey」という、13世紀に建てられた修道院の跡だった。
車を止め、しばし見とれる。



Monmouth という古い町で宿を取る。

ここは観光地のようだが、とにかく建物が古く、道が細く曲がっていて分りにくい。
おそらく、どこの古い町にもあるように、馬車を引いていた時代から続く道路は、
右折も左折も、サークルの円の中に入ってから、抜け出るようになっているのだ。
そして、冷たい空気と、まとわり着くような湿気。
幽霊が出ても、おかしくないような雰囲気だ。

翌朝、約束の時間に、ウォルター・キーラー氏のスタジオに着く。キーラー氏は、イギリスが誇る陶芸家であり、その名声はアメリカでも高く、非常に尊敬されている。

が、キーラー氏は、そんなそぶりは全く見せず、気さくに、そして丁寧に、話をしてくれる。

エクストルーダー(粘土の鉄型による押し出し成型機)、たたら成型、ろくろ成型などのコンビネーションによる、端正な作りの器。 やさしい色使いと、穏やかな人柄は、作品の中に溶け合う。




スタジオは2つあり、使う土によって変えているそうだ。
窯はガス窯で、最後に塩を使う。



ブランチをご馳走になり、いつまでもやきものの話は後が尽きない。

そして、前から欲しかった、キーラー氏の、青い塩釉のピッチャーを買う。
割れないように、大切に、ノースキャロライナに持って帰ろう。

キーラー氏の家を出て、M4に乗り、ひたすらロンドンを目指す。

会ったこともない、そして有名でもない、アメリカ在住日本人陶芸家に、 どの人も、本当に暖かく、優しかった。 遠いとこからよく来てくれた、と、目を細めて迎えてくれた。

本や写真だけで見ただけでは、やはり分らないものだ。 実際に訪ね、話し、仕事場を見せてもらうと、作品作りへの姿勢や人柄がよく見えるし、理解できる。一緒に仕事をすると、もっと分るのだろうけど。

やきものが大好きな人たちが、お互いを理解し合い、そのつながりが世界中に広まっていけば、言葉の違いや国境は、自然と意味をなくすだろう。

Saturday, March 04, 2006

イギリス陶芸事情④

デヴォン州への旅

ロンドン滞在も4週間目に入ろうとしたころ、薪窯の作家を訪ねるために、レンタカーを借りて、デヴォン州へリサーチ旅行に出かけた。

デヴォン州はロンドンから南西の方向にあり、酪農が盛んな美しい地域だ。デヴォンのクリームは濃厚で、めちゃくちゃ美味しいのだ。


陶芸家ニック・コリンズ

まずは、ニック・コリンズ氏の住む、デヴォン州Moreton Hampsteadへ。ロンドンからは車で4時間ほどかかった。美しいこの町は、ちょっとした高台にあり、町のシンボルの教会は、1000年の歴史があるという。くねくね曲がった狭い道路が迷路のように巡っている。




ニックのスタジオは、そのくねくね道路の脇にある大きな樫の木の袂を、入っていったところにあった。
ハンドメイドの家と窯、野ざらしの作品たちが脇に並んでいる。

見かけと違い(笑)、ニックは穏やかで、やさしくて、静かな印象を持っている。初めて会う日本人に、丁寧な英語で、ゆっくりと話し、そして暖かく迎えてくれた。



土は、地元のものを使う。石はぜのように見えるのは、コーンウォール地方で取れる砂。蹴ロクロで、ゆっくりと、ひとつひとつ作っている。



薪窯は、穴窯に似ているけど、もっとシンプルな形で、トンネルのようだ。



夕飯をご馳走になり、やきものの話に花を咲かせ、夜遅くまでお世話になってしまう。
そして同じ町にある、かわいらしいB&Bで長旅の疲れを癒す。
オーナーのヴェロニカさんはアルゼンチン出身で、イギリスにやってきた。
用意してくれた朝食の、本当に美味しかったこと。




スヴェンド・ベイヤー氏

ニックの住む町Moreton Hampsteadから車で50分ほど北に行くと、Sheepwashという集落がある。
ここには、陶芸家スヴェンド・ベイヤー氏がスタジオを構える。

手入れの行き届いた、庭や建物。大きな森は、スヴェンドが植林したものだ。

私が到着したときは、窯の薪を整理していて、「薪を積み上げるのに、正しい方向があるんだよ。パズルのようにね。ちゃんと積み上げると、雨水がかかってもそれほど湿気ない。1日中でもやってて飽きないな。」と話す。



作品は、焼き締めで、豪快だ。とてもシンプルだ。
窯も、少しも狂わずブロックが積まれ、美しい形をしている。

アメリカ、アジア、ヨーロッパ、とさまざまな国でワークショップや展覧会をこなす。




クライブ・ボウエン氏

スヴェンドのスタジオから5分もしないうちに、陶芸家クライブ・ボウエン氏のスタジオに着く。この辺りに昔からある酪農家の家を購入し、スタジオを築いた。



低火度の土に色鮮やかな釉薬を重ねる。日本では「民芸」と評されるボウエン氏の作品だが、自分の生活を楽しく、暖かく、豊かなものにするための陶器を作り続けるというスタイルは、もはやカテゴライズの必要はないかもしれない。

デヴォン州には、この他ジョン・リーチ氏やペニー・シンプソン氏など、多くの陶芸家がスタジオを構え制作に励んでいる。交通の便利な地域ではないので、なかなか気軽に訪ねることはできないが、美しい自然と町並みの残るデヴォンは、イギリス陶芸の最前線と言えるだろう。



Friday, March 03, 2006

イギリス陶芸事情③


窯業の町、ストーク・オン・トレントへ

ロンドン滞在も半分が過ぎようとしていた1月中旬ごろ、陶芸リサーチのためストーク・オン・トレントに行った。

ロンドンのユーストン駅から、ヴァージン・トレイン(飛行機会社ヴァージンアトランティックの鉄道)に乗って北上、 約1時間40分でストーク・オン・トレントに到着。あと30分も乗り続ければ、工業の町マンチェスターだ。

さて、ストーク・オン・トレントは、イギリス最大の窯業の町だ。 ウェッジウッド、ロイヤル・ドルトン、ミントン、スポードなど有名な陶磁器メーカーや、 中小企業の陶器工場が建ち並ぶ。



ストーク・オン・トレント駅を出ると、ジョサイア・ウェッジウッドの像が出迎えてくれる

ストーク・オン・トレントは複数の町が集まってそう呼ばれるのだが、 かつて陶磁器の売買が盛んに行われていたのは、ヘンリーという地区、 陶器工場がたくさん並んでいたのは、ロングトンという地区だ。

まずは、ストーク・オン・トレント駅からバスで20分のヘンリーに行くことにした。 ヘンリーにあるインフォメーションセンターで地図をもらい、宿を取り、 荷物を置いて、陶芸美術館へ。

ストーク・オン・トレントのヘンリー地区にある陶芸美術館


美術館の中の展示風景


ここは、陶磁器のコレクションが、非常に素晴らしい。 土器から、中世のアースンウェア(低火度の施釉陶器)、 産業革命時代の工業製品としての陶磁器、現代の作品まで、 一日費やせるぐらいの、密度の濃いコレクション。 建物が古く、中が薄暗いのが難点だったが。

1月は4時には日が暮れるので、早めに宿に帰り、休む。

翌朝、早く起きて、宿を出る。 ヘンリーのバスセンターからロングトン行きのバスに乗ること40分。 目的地ロングトン地区にある、グラッドストーン博物館に到着。 ここは、19世紀の陶器工場をそのまま保管し、 当時の製造工程を分りやすく展示している。

ボトルキルン。当時は「オーブン」と呼ばれていた。

ボトルの形をしているのは、窯を覆っている煙突。中に円柱型の窯がある。

ボトルキルンの模型

部屋いっぱいの蒸気エンジン。これ一つでさまざまな機械が動くようになっていた。


工業地マンチェスターに近いこともあり、産業革命による陶磁器生産の工業化は、 当時は世界トップレベルだったにちがいない。 現代の窯業のスタイルは、全くストーク・オン・トレントのそのままだといえる。

グラッドストーン博物館には、陶芸スタジオがいくつかあって、 ここで制作に励む陶芸家ケヴィン・ミルワード氏に、いろいろな話を聞かせてもらった。

陶芸家ケヴィン・ミルワード氏


彼の話の中で、とても印象深かったのは、ストーク・オン・トレントはかつて、 石炭による煙からなる公害がひどく、空はいつもグレーに曇り、 多くの人々は肺病や喘息を患っていた。

現代になり、それを重く見た自治体は、いかに窯業地であっても、 薪や石炭、さらにはガスによる窯の焼成を、一部を除いて禁止した。 ケヴィンが使用するのはもちろん電気窯で、還元状態にするために、 中にナフサ?を入れて、窯の中の酸素を吸わせて、強制的に還元状態にするのだという。

日本でも近年環境政策が激化し、窯業が排出する産業廃棄物は、 そのルールが厳しくなってきている、と聞く。

もちろん都市部では、薪の窯なんて無理だろうけど、 ストーク・オン・トレントはそんな大都会ではないので、 ガス窯ぐらい大丈夫そうなのに・・・と思った。 自治体が窯業の保護政策をあまり取っていない感じだ。

町中に建っていたボトルキルンは、現代になって、どんどんつぶされた。代わりにアパートメントが建ち、ショッピングセンターができた。窯業に携わる人の数も、製造工程のオートメーション化や、工場自体のアジアへの移転により、激減した。

ここに残るボトル型の石炭窯は、とても美しく、見ていて飽きない。

たとえもう二度と、その焚き口に石炭がくべられることはなくても、 たくさんの人々がここですすまみれになって働き、 世界でもっとも美しい陶磁器を生産した事実は、 その歴史の中から消えることはないのだ。

窯詰めの様子。みんなサヤを頭に載せて、窯に入っていく。


大人に混じって、子供も働く。








Thursday, March 02, 2006

イギリス陶芸事情②

今回のリサーチの最重要課題は、イギリスの陶芸家を訪ね、インタビューし、日本・イギリス・アメリカのつながりを検証する、ということだ。大げさに聞こえるが、つまりは工房訪問したかったのだ(笑)。

The Craft Potters Assosiation という団体が発行する「Potters」という本があり、所属する陶芸家の作品、プロフィール、連絡先が載っている。好きな作家を探し、自分のスケジュールと照らし合わせて、何人かの陶芸家をピックアップした。

一番最初に、アポイントをとって訪ねたのは、ロンドンから南に鉄道で1時間のところにある、Farhnam(ファーナム)という城下町に在住の陶芸家Duncan Ross(ダンカン・ロス)氏だった。




ロス氏の作品は、テラシジラッタという泥しょうを塗り重ね、低火度で焼成し、研磨されてできる。精巧で、繊細な雰囲気は、その誠実な人柄とマッチしている。

制作のスタイルは、手作りの範囲で量産する陶芸家とは全く異なり、非常にIndividualだ。

それゆえに、作品のイマジネーションは独自の世界からなり、一つ一つのクオリティが高く、また作品と作家の距離が近いように思った。

Wednesday, March 01, 2006

イギリス陶芸事情①

アートの街・ロンドンにて

ロンドン・グリニッジにあるハーレクインギャラリーでの展覧会開催のため、12月中旬より約2ヶ月間、ロンドンに滞在した。今回の目的は展覧会開催だけではなく、イギリスの陶芸事情を視察するためでもあり、このリサーチに対して大和育英基金より助成を頂いた。

アートの街・ロンドンは、建築物の美しさは言うまでもなく、美術館の多くが基本的に入場料無料(任意の寄付制)である。大英博物館の収蔵品数と日本美術研究は間違いなく世界一であり、ビクトリア&アルバート美術館の工芸品のコレクションは圧倒的だ。絵画ではナショナルギャラリーやテートブリテン、現代アートのテートモダン、その他自然史博物館やポートレートギャラリーなど、ロンドン中心部の美術・博物館巡りだけでも1週間などあっという間だ。
ナショナルギャラリー

テートモダン

大英博物館

ヴィクトリア&アルバート美術館


イギリスの陶芸とその影響

イギリス中部にあるストーク・オン・トレントには、ウェッジウッドやスポード、ロイヤルドルトン等の工場が集まり、制作現場等を一般公開している。また陶芸美術館やグラッドストーン博物館などは、ストーク・オン・トレントを知るのには不可欠だろう。イギリスは近代に入ると、産業革命による工業化、磁器土やボーンチャイナの開発などで、窯業が飛躍的に発達し、一時代を築いた。

煌びやかなテーブルウェア以外にも、一般の生活陶芸も各地で盛んに作られていた。民芸運動のリーダーであったバーナード・リーチは、イギリスに帰国後、南西部にあるセントアイブスで工房を開き、作品を精力的に作り続けた。リーチは、民芸スタイルと言われるような目に見える形の伝統ではなく、「手作りの良い器とは何か」ということを追求し続ける陶芸家の心得を、足跡として残したのだと思う。

スタジオアーティストとして活躍したルーシー・リーやハンス・コパーなどの作家活動のスタイルは、現在の陶芸アーティストの原型であると言える。

アメリカの陶芸は、イギリスからの影響を抜きには語れず、また日本陶芸がリーチを通じて受けたイギリス工芸の影響は、民芸運動の歴史を見れば一目瞭然だ。これらの国の相関は非常に興味深いし、現在進行形であると言えるだろう。



様々なクラフト関連団体や情報

「クラフト・ポターズ・アソシエーション(CPA)」という、陶芸家の団体が運営するギャラリーがオックスフォード・サーカス地区にあり、CPA加盟の陶芸家の作品が展示・販売されている。

CPA



それとは別に「クラフツ・カウンシル」という工芸家の団体もあり、展覧会や各種イベント開催、工芸家へのプロジェクト助成、工芸教育支援事業等を行っている。
クラフツ・カウンシル:http://www.craftscouncil.org.uk/

クラフツカウンシル


イギリスの現代陶芸インフォメーション:
http://www.studiopottery.co.uk/index-f.html